ファンタジースキーさんに100のお題 TOP TOP灯(ともしび)の夜
(お題:038 星の乙女)
「この、馬鹿弟子がっ!」
弟子入りしてから約半年ですっかり慣れきってしまった師匠の怒号が狭い家に、いや近所中に響き渡った。日に一回は必ずこの言葉を聞いているような気がする。自分が悪いのだから、しかたがないが。
「何度言ったらわかる。野菜の扱いは散々教えてきたはずじゃ」
俺の目の前には、不揃いに切られた野菜。弟子入りして半年、包丁を握らせてもらってから三ヶ月、ずっとまじめに修行してきたつもりだが、生来不器用なのか、我ながら悲しくなるほどの出来栄えだ。
「……気持ちが足らんのじゃ、気持ちが」
俺の考えを見抜いたかのように、師匠がこちらをじろりと睨む。
いくら気持ちが入っていたとしても、器用さをそれで補えるとは思えないが、口答えができるような立場でも状況でもない。
師匠はそんな俺を見て、長い溜息をついた。
「何をぼーっと突っ立っておる。市場へ行って買い足してこんか」
すでに二人の夕食には余るほどの材料を切り散らかしているような気がするが、幾日も通いつめてようやく弟子入りを承知してもらった身としては、これ以上機嫌を損ねるわけにはいかない。
俺は深々と頭を下げてから駆け出した。
夕方の市場は物が少なく、師匠の言い付け通りの食材を揃えるのには時間がかかった。俺がようやく手篭にいっぱいの茄子やら胡瓜やらを抱えて家まで戻ってみると、戸口から出てくる男がひとり。
見慣れない顔である。
ぼさぼさの髪の毛を乱暴に引っ括っている。村にいた頃の俺に似た身なりからすると、近在の農民のように思える。
「では」
そう言って男は開け放した扉の外から家の中に向かって頭を下げた。
一言だけなのに良くわかる、きつい訛り。耳慣れない響きであることを考えると、おそらくこの江治の都より南の住人だろう。俺の住んでいた北の方ではあまり聞かない響きだ。
「師匠、ただいま帰りました」
「ふむ」
時間がかかりすぎると叱られることは覚悟していたのだが、師匠の機嫌は思いのほか良いようだ。椅子に座り、組んだ足に肘をつき、煙管を咥えたまま窓の外を見ている。もっともその煙管には中身が入っていない。料理人として、一軒の店を預かるようになったときにやめたのだという。随分昔のことのはずだが、いまだに煙管が手放せないところをみると、もとは相当な煙草好きだったのだろう。
「もうそんな季節か……」
俺の挨拶は聞こえていなかったようだ。
「師匠、ただいま戻りました!」
しかたなく大声を出してみる。師匠は驚いたようにこちらを見た。
「そのような大声を出さんでも聞こえておる」
どうやら聞こえてはいたが、気にしていなかっただけのようである。師匠は何事かに集中すると、よくそんな状態になる。安心したような、がっかりしたような複雑な気分だ。
「……姫誕、星の乙女を見に行くぞ!」
そう言うなり師匠は煙管を放り捨てて立ち上がった。
星の乙女。料理のほかには何にも執着を示さない師匠に、これ以上似合わない言葉も少ないのではないだろうか。しかし、それにしても聞きなれない言葉である。
どこかの巫女か何かだろうか。星の乙女と言われるからには、天に愛されたかのような才のある美しい女に違いない。
俺の脳裏には、先ごろ往来ですれ違った娘の姿が浮かんだ。富豪の娘らしく、侍女に差させた紅絹の傘に守られて歩くその姿といったら。俺をはじめとして、その場にいた男は皆彼女が過ぎ去るまで言葉もなく立ち尽くしていたものだ。
高々と結い上げた黒髪はつややか、紅を差した唇のふっくらとした曲線に、同じく紅で縁取った輝く瞳。髷には春の草原に咲く花の数ほども宝玉のついた飾りを挿し、上等の練り絹の上着と裳には金糸銀糸で鮮やかな牡丹の模様が縫い取られていた。
しかし、星の乙女という言葉にはもっと清楚な姿が良く似合う。
艶やかな美女というよりは楚々とした美少女といった風情が似つかわしい。
絵に描かれた天女のような二つ髷に、白や水色の清楚な薄絹の衣。薄紅のすんなりした唇に、媚の色はなくてもなぜか心引かれる切れ長の瞳、柳のようにしなやかな細腰に小さくてかわいらしい足。化粧をせずとも抜けるように白い肌は内から光が漏れるがごとくに輝いている。そんな姿が脳裏に浮かんだ。
「姫誕!」
脳裏にいた美少女が、一瞬にして消えた。目の前には、いつも通りどこか不機嫌そうな師匠の顔。
「は、はいっ」
思わず頓狂な声で返事を返す。師匠は耳を塞ぐ仕草をして見せた。師匠の怒鳴り声よりは幾分か小さい声だと思うのだが。
「出かける支度をせんか」
「……師匠、この野菜はどうすれば良いのですか?」
俺は恐る恐る尋ねた。目の前には籠一杯の野菜。先程切った野菜もまだ使い切ってはいない。
「出かけるのは明日じゃ。それまでに全て料理して、近所の皆さんに食べていただけ」
あまった料理はいつもそうしている。近所迷惑のせめてものお詫びといった気分で配っているのだが、今の俺が作った料理では、はたしてお詫びになっているのかどうか悩むところだ。
ふらりと出かけて行こうとする師匠の背を見送り、包丁を手に野菜を睨む。
俺は目の前にある野菜に集中しようとした。
しかし頭の中に、ひらりひらりと袖を舞わせて踊る娘の姿がちらつく。
そんな状態では出来がいいわけもなく、帰ってきた師匠に再び怒鳴られる羽目になったことは言うまでもない。
昨日、戸口で見かけた男の荷車で、俺たちは出かけることになった。
おそらく師匠がそう手配したのだろう。
戸口を叩いた男は「迎えに来た」とかなんとか言ったようだが、昨日ちらりと聞いたときにも思ったように訛りが強すぎて、俺の耳はその言葉をきちんと聞き取ることができなかった。
ともかく、二頭の馬が引く空の荷車の後ろに腰をかける。思った通り、車は南の方へと向かって進んでいるようだ。
師匠は都の門をくぐって早々にごろりと横になって眠ってしまった。
しかたなく、どんどん田園風景へと変わっていく景色を見つめていたが、多少の違いはあるが、昔住んでいた村のあたりとほとんど変わらない景色とあってすぐに飽きた。
俺は、馬を御す男に話し掛けてみた。話が通じるかどうかは疑問だが、このまま退屈しているよりはいいだろう。
星の乙女について尋ねてみると、やはりきつい訛りの、しかもぼそぼそとした語り口調で答えが返ってきた。
推測でしかないが、「白い」とか「綺麗な」とか「驚くだろう」とか言っているようだ。
「姫誕、疲れた。肩を揉め」
振り向けば、寝起きとあっていつもよりさらに不機嫌そうな師匠が、こちらを見ている。
硬い板の上で手枕を敷いて寝ていれば、肩もこるだろう。俺は師匠の細い筋張った肩を一心に揉んだ。
「いかがでしょうか」
「ふむ」
そう言うなり師匠は再び横になった……先程と同じ姿勢で。目的地までどれくらいあるのかしらないが、俺は後何度肩を揉まされるのだろうか。
眠る師匠と無口な男に挟まれて三日が経った。
師匠は「肩を揉め」と言う時以外は眠っているし、男は話し掛けたことに一言二言返すだけ。思わず自分自身に話し掛けたくなるほどに口を利かない三日間だったと思う。
俺も眠ってしまえばよかったのかもしれないが、師匠が時折目を覚ますことを考えれば眠っているわけにはいかなかった。
目の前に広がっているのは、相も変らぬのどかな風景。畑の野菜は初夏の日差しを受けて、身を肥やしている。水の心配、草取りに害虫退治とこの時期の農作業は本当に大変だが、これだけ見事に育ってくれれば報われた気分にもなるだろう。作物や畑の状態を見るだけで、この土地の人間がいかに心を砕いているかがわかる。我が子に対するように情愛を注いでいなければ、これだけのものは作れまい。
身の詰まっていそうな野菜の類を見ていると、日頃の自分が情けなく思えて、俺は小さく溜息をついた。
手間暇かけられて育ったものなのだから、もっときちんと使ってやらなくてはいけない……そんな気分にならざるを得ない。
そんな感慨を持って畑を眺める俺を乗せた荷車は、街道をそれて村の中へと入っていった。
鄙びた農村である。俺の故郷との違いと言えば、主作物が米だから見渡す限り田であるうちの村に比べて、この村は野菜が良く取れると見えて畑の方が多いという程度だ。
これではあまり期待できないかな、と心の中で呟く。星の乙女とは、近在の村から選り出した巫女かなんかなのだろうか。俺の故郷でも、三年に一度「豊穣の女神」とやらを選ぶ祭りがある。もっともこちらは「豊穣の」というだけあって、子を持つ母から選ぶから、候補者自体が他人の嫁である。どう頑張ってもあまり心華やぐものではない。
不意に後ろで身じろぐ気配がした。
振り返るとそこに、師匠の姿がない。見渡せば、道に立ってあたりを見回す師匠の姿がすぐそこにあった。荷車から飛び降りたらしい。
「姫誕、何をしておる」
言われて俺はすぐさま荷物を担ぎ、荷車を飛び降りた。鶏がらのような師匠が降りたときとは違って衝撃があったらしく、馬が不満そうに鼻を鳴らす音が聞こえる。
「ほれ、あそこじゃ」
さっき期待できないと思ったばかりなのに、わくわくしている自分に気が付いて苦い笑いがもれそうになる。
「年々見事になる。あの色白なこと。艶もいい」
呟きながら指差す師匠の視線を追う。
指と視線の示す先にいたのは、老婆だった。
どこの村にでもいそうな老婆である。たしかに農作業に携わるものにしては色が白いし、年の割には肌も綺麗だ。
師匠に移した俺の視線はおそらく不審そうな色が濃かっただろう。しかし、師匠はそれに気付きもせず、ずかずかと大またに老婆へと歩み寄っていった。
「趙恒様、おかげさまで良い具合でございますよ」
強い訛りのある、しかしはっきりした声でそう言って目を細めて笑う老婆に、機嫌の良さそうな師匠。
もしかしてあの老婆は昔「星の乙女」とやらに選ばれた、師匠の初恋の相手だったりしないだろうな、などという考えが胸を過ぎった。もしそうだとしても、俺にとってはどうでもいいことに変わりはないが。
「ふむ、やはりな……姫誕!」
いきなり呼ばれて、少し離れた道から二人を見ていた俺は急いで駆け寄った。
「見るがいい、これが星の乙女じゃ。見事なもんじゃろう」
そう言って師匠は屈みこみ、畑に実る瓜を撫でた。
「羹によし、冷菜によし、漬けて良し。肉にも魚にも合う。淡白でありながら奥深い味わいがある。実にうまい瓜じゃ」
視線を下げる。
瓢箪の上部を切り取ったような形のそれは、確かに白くて艶やかだった。
「今年はまた一段と良いようで。これも趙恒様のおかげですよ」
「この出来を見る限り、『星の乙女』には鶏糞が効くというわしの読みは確かであったようじゃの」
呆然とする俺をよそに、二人はのんびりと瓜を眺めながら話を続けている。
「……師匠、何ゆえこの瓜が『星の乙女』なのですか?」
「わしがそう名づけた。いい名だろう?」
答えになっていないと思ったが、素直に頷くことにした。しかし俺の疑問は、師匠にはお見通しだったらしい。
「まあ今宵を待つがいい」
そう言って師匠はにやり、と笑った。
俺と師匠は老婆の家で茶など振舞われつつ夜を待った。夏のこととて、日がすっかり落ちるまでには随分と時が過ぎた。
今日も朝から荷車に揺られていたので、ひどく腹がすいているが、師匠はのん気に煙管を咥えているばかりで、夕餉のことを口に出そうともしない。
「そろそろ頃合じゃな」
師匠はそう呟くと、煙管を袋にしまって立ち上がった。慌てて後を追い、陋屋と言っても差し支えないような家を出る。
村はすっかり様変わりしていた。
本来であれば、夜の闇のなか、ぽつりぽつりと家々の灯火が見えるはずである。しかし、畑の合間に伸びる細い道に等間隔で立てられた篝火のおかげで、真昼のようにとは言わないが随分と明るい。
篝火以外にも、光るものがあった。
畑が、蛍の飛び回る沢のように淡い光に彩られている。瓜が篝火を照らし返しているのだ。篝火の揺らめきにあわせ、瓜の仄白い光も明滅を繰り返す。
「こうして日が落ちた後、夜露が降りる前に取り入れるのがこの瓜には合っているのじゃ」
俺は答えもせずに畑を見つめていた。
「ありがたくいただこう……姫誕」
師匠の声に、我に返って横を見ると、先程の老婆が取れたばかりの瓜を差し出している。
師匠は俺が瓜を受け取るのをみるなり踵を返した。老婆の家へと帰るつもりらしい。俺は何も言わずに後を追った。
篝火のひとつから火を失敬し、老婆の家の粗末な竈に火を入れる。
「まあ、見ておれ」
俺は言われるまでもなくその手元を食い入るように見つめていた。師匠は荷物から自分の包丁を取り出し、鮮やかな手つきで瓜の皮を剥いていく。
湯気の立つ鍋に、いつのまにか用意されていた材料が入れられる。透き通った瓜や、薄桃色の鶏が湯から引き上げられ、油の敷かれた鍋に移されて心地よい音を立てた。
竈から漏れ出る火の橙や赤の光が照らしている師匠の顔は、実に楽しそうだった。
「ほれ」
師匠は得意げな顔で一皿の料理を差し出した。
数はさほどでもないが色とりどりの材料が、とろりとした餡の下で照り輝いている。
俺は手渡された箸をそっと皿へと伸ばした。
うまい。師匠の作る料理がうまいのは当たり前だが、それにしてもこの一皿は実にうまかった。
何かで出汁をとったわけでもないのに、実に豊かな味わいがある。歯ごたえの残る瓜は、あっさりとしているくせに、鶏の油に負けない味を醸し出していた。
星の乙女、か。
師匠もうまい名をつけたものだと思う。取り入れのあの幻想的な風景、そしてこの上品でありながら芯の強い味。確かにその名に相応しい。
「師匠」
「なんじゃ?」
自らも満足そうな顔で箸を伸ばしていた師匠が俺を仰ぎ見る。
「おいしいです」
ほかに言葉はなかった。いずれは自分もこのような料理が作れるようになるのだろうか。
「……この馬鹿弟子! わしのつくった料理がうまいのは当たり前じゃ!」
背けられた師匠の顔は、炎の照り返しのせいか、ほんの少し赤らんでいるように見えた。