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最後の龍

(お題:014 高級マツタケ)


「いかな名料理人であっても、我が先祖が食べたと言う龍巣湯が作れるものはいまい」
 でっぷりと太った大商人の一言で、隣に立っている師匠が凍りつくのがわかった。
 あのオヤジめ。この間の料理勝負で、お抱えの料理人がうちの師匠に負けたことを根に持っているらしい。
「黄建殿のご先祖は素晴らしい方でしたからな。龍巣湯と言えば当時でも高価な、宮廷でもまず食べられなかったというまさに幻の逸品、それを召し上がったことがあるとは」
 答えたのは今回の依頼人である朱凱殿だ。ご先祖は、というくだりにやたらと力が入っている。人のいい朱凱殿の精一杯のいやみなのだろう。朱凱殿と黄建とはいわゆる商売敵と言う奴で、今回うちの師匠を雇ったのも、師匠が黄建お抱えの料理人を負かしたことがあるからである。もっとも商売敵だと思っているのは朱凱殿の方だけで、黄建の方は歯牙にも掛けていないだろう。商売の規模が違いすぎる。
「その至福の味といったらもう、何物にも喩えられぬほどであったそうな」
 黄建は夢見るような目で語った。太った中年オヤジのそんな表情は、正直見るに耐えない。
 万事がこのような調子で、宴は終わった。黄建の奴は一度も師匠の料理を褒めなかった。今日の料理は、あの料理勝負以上の出来であったというのに。
「…………趙恒殿」
 黄建を見送っていた朱凱殿が振り返った。完全に眼が据わっている。
「趙恒殿は悔しくないのか」
 やめてくれ、と俺は天の神に祈りを捧げた。師匠は人一倍誇り高くて気性が激しいのである。ここで黄建に対する怒りなど煽られたら、被害を受けるのはこの俺だ。
「……………………」
 師匠は答えなかった。悪い兆候だ。師匠は悔しくなければ悔しくないと言う筈である。何も言わないのは、悔しいけれども悔しがっているのを認めるのが嫌だからだ。
「再来週もう一度、今度は他の絹問屋も何人か招いて宴を行う予定がある。その席で何としても龍巣湯を出してくれ!」
「よかろう! その依頼、引き受けた!」
 がっくりと肩を落とし、俺は天の神に向かって悪態をついた。もちろん心の中でである。龍巣湯の調理法自体は師匠も知っている、しかし今はもう材料である龍巣茸がないはずなのである。いや、正確に言えば全くないわけではない。ほんの少しだけ存在している。その、存在している場所が問題なのだ。
「姫誕、この馬鹿弟子。何をぼーっとしておる。出かけるぞ!」
 師匠に一喝されて、俺は飛び上がるようにして姿勢を正した。師匠が年甲斐も無く駆け出すのについて、慌てて駆け出す。
「師匠、調理用具が全て厨房に!」
「お前が持ってくるのじゃ、この馬鹿弟子。家で旅支度をしておるから、五分で持って帰って来い」
 相変わらずの無茶な言いようだが、師匠の言うこととあっては、逆らうわけには行かない。急いで方向転換し、柱にぶつかり、山のような調理器具を抱えた俺がぼろぼろになって家に帰り着いたのは、結局たっぷり十五分は過ぎた頃だった。
「遅いわ。老いぼれ牛の方がまだ早い」
 俺は黙って調理器具を所定の位置へと片付けた。こういう時の師匠には何を言っても無駄なのだ。
「さっさと旅支度をせんか」
 言われて渋々荷物を詰める。着替えと、包丁、それに鍋といくつかの調理器具。いつもならこれで充分なのだが……とりあえずそれだけ詰めて師匠の方をちらり、と見た。師匠はいつも通りの服装で、自分の包丁とささやかな着替えのみを背負っている。
「師匠……本当にこれだけでいいんですか?」
「何を寝ぼけたことを言っておる。料理人に必要なのは調理器具と腕だけじゃ」
 胸を張る師匠、諦めきった表情で溜息をつく俺。近所の人間なら誰もが見飽きた光景である。
 俺は意気揚揚とした様子で家を出る師匠の後について家を出た。
 この家に、もう一度帰ってくることができるだろうか。この世で最後の龍が住むという、赤龍山から。


「師匠、ちょっと待ってくださいよ。宴は再来週なんですよね、今から赤龍山に行ったのでは間に合いません」
 俺はふと思いついて師匠に尋ねた。今、この世で唯一龍巣茸を産する場所である赤龍山は、往復で二週間近くかかる場所にある。壮健とはいえ、老人である師匠が一緒では、とても間に合うまい。
「何、朱凱殿のところから馬を借りていく。それくらいは気前良く貸すじゃろう」
 行かなくても済むかもしれないという僅かな希望が指の間から零れ落ちていくのを感じる。
「乗れるんですか?」
 俺は農村育ちだから、もちろんお手の物だが、料理人の家に生まれ育ったという師匠が馬に乗れるとは思えない。
「何を言うか、この馬鹿弟子。お前がわしを乗せるのじゃ」
 俺は溜息をついた。まあ、こうなることはわかっていたような気もする。鶏がらのような師匠と二人で馬に乗っているさまの想像図は、あまり楽しいものではなかった。まあ、旅路の大半は、師匠が乗った馬を俺がひいていくことになるのだろうが。
 しかしそれでも二人で一頭の馬では、往復十日はかかるだろう。ということは、材料調達期間はわずかに四日。帰ってから調理の準備をしたりすることを考えると正味二日くらいだろうか。俺は今日何度目かの溜息をついた。
 俺の気分に反して、旅は順調だった。
 もちろん俺が叱られたり、溜息をついたりすることがなかったわけではないが、それは家に居たとしても同じだろう。四日目には赤龍山が見え、五日目にはもう麓についてしまった。
 俺は間近に聳える赤龍山を見上げて溜息をついた。辺りには人家の灯り一つない。当然だ。龍の住処の傍に住みたい奴はいない。
「ほほう。こう見ると、いかにも龍が住みそうな山じゃな」
 山には針葉樹が生い茂っていた。霧でも出ていれば、まさにそんな雰囲気だろう。師匠はなぜか嬉しそうだが、龍が住むという山を見て嬉しそうにできるのはこの国広しと雖も師匠くらいではあるまいか。
「さ、今夜はゆっくりと寝て、明日の朝一番に山へ入るぞ」
 言うなり師匠はごろんと横になってしまった。
 いくらなんでも無用心ではないだろうか。この辺りで人に害されるとは思わないが、龍や獣に襲われるのは、人に襲われるより恐ろしい。
 しかし眠気には勝てず、俺は包丁と鍋を引き寄せて、横になることにした。
 食べるならどうか師匠からにして下さい。
 そう願ってはみたものの、どう考えてもその願いが天に届くことはないような気がした。
 獣だって龍だって、食べるなら若くて肉が多い方がいいだろう。


 何事もなく夜は明けた。
 ほっと胸を撫で下ろしながら師匠を見る。
 俺を蹴り起こした師匠は、大きく伸びを一つすると、ぐるりと振り返った。
 怒鳴られる前に跳ね起きる。
「行くぞ、姫誕」
「荷物と馬はどうしましょう」
 山の中に馬を連れて入るわけにはいかない。
「そんなものは置いていけ。どうせ誰もおりゃせんわ」
 予想通りの答えに、少しだけ安心する。荷物だけ背負っていけと言われたらどうしようかと思った。
「ああ、鍋は持ってこい。その場で味を確認するからな」
 俺は一番小さな鍋を背負い、腰に包丁を差した。なんだか無様な武人のようで、ちょっと恥ずかしいが、どうせ師匠以外には誰もいない。それに、武器になるものを持っているというのは安心するものだ。もっともそんなことを師匠に言おうものなら、神聖な包丁を他の用途に使う奴があるか、と大喝されるだろう。
「早くせんか!」
 師匠は老人らしからぬ健脚で、山を登り始めた。獣道すらない山であるというのに、まるで街道を進むかのような調子で登っていく。あの様子だと、昨夜はさぞ良く眠れたのだろう。
 しばらく登ると、木々の様子が変わってきた。同じ針葉樹なのだが、幹が赤い。初めて見る種類だ。
「師匠、これはなんという木なのですか?」
「そんなことも知らんのか。これは龍松と言う。龍が住む所にしか生えん木じゃ。この木のあるところに龍巣茸はある」
 なるほど、それでもうこの山にしか龍巣茸はないというわけか。
 先帝とその前の帝の崩御の折には、多数の龍が昇天して神になったと言われている。何か条件を満たしていなかったのか、それともたんなる気まぐれかはわからないが、ただ一人この人界に残ったのがこの赤龍山の龍なのである。
「さあ姫誕、龍巣茸を探せ」
「探せと仰られても、どんな姿のものか教えて下さらないことには」
 龍巣茸と言うからには茸なのだろうが、茸と言っても種類は色々ある。
「茸じゃ」
 身も蓋もない答えが返ってきた。とにかくそれらしいものを探すしかないというわけか。しかし、この静けさが逆に怖い。龍松が龍の住処にしか生えないということは、この近くに龍がいるということである。まあ、この広い山中で出くわす確立は低そうだが、それでも怖がらないわけには行かないだろう。
 その日は夕暮れまで探したが、茸の欠片さえ見つからなかった。
 山を降りて、馬と共に夕餉をとる。
 幾分慣れてきたのか、昨晩無事だったからか、俺は龍を気にすることなく眠りについた。
 夜明けと共に、今度は師匠に蹴られることなく目を覚ました。
 今日中に龍巣茸を見つけなければ、調理の準備にかける時間が足りなくなるだろう。
 師匠は相変わらず老人らしく早起きをしており、すでに出かける用意も万端整っているようだ。
「さあ、姫誕……」
 続きを言われる前に、さっさと立ち上がって、身支度をする。
 昨日と同じだけ山を登り、今度は少しそのまま水平に移動した。
「師匠、本当にあるんですかね」
「つべこべ言わずにさっさと探せ」
 焦りのせいか、機嫌が悪い。俺はそれ以上何も言わずに茸を探すことに没頭することにした。
 こういう時の師匠は、龍より恐ろしい。
 俺はしばらく地面を舐めるようにして探していたが、一本の一際大きな龍松の元で足を止め、その木の周りを丹念に探すことにした。
 そして程なく一本の茸を見つけたのである。かさが見事に、掌半分ほども開いている。
「師匠!」
「なんじゃな」
 相変わらず機嫌の悪そうな師匠に、俺は見つけたものを差し出した。
 師匠の目が輝く。
「では、これが」
「そうじゃ、これが龍巣茸じゃ」
 師匠は鼻を近づけて香りを嗅ぎ、かさを一欠毟り取って口に放り込んだ。
「……これでは駄目じゃな」
「なぜですか!」
 師匠は、これが龍巣茸だと確かに言ったはずである。
「開きすぎておる。龍巣茸は、蕾の状態を最上とするのじゃ」
 俺は肩を落としかけたが、とりあえず抵抗を試みることにした。龍にも会わずに龍巣茸を見つけることができたのである。できるだけ早くにここを立ち去りたい。
「しかし、今の世に龍巣茸を食べたものはいないのですから、それが最上かどうかはわからないのでは……」
「たわけがっ!」
 最後まで言うことはできなかった。
「お前は本当に馬鹿弟子じゃな。今までわしが教えてきたことはそのでかい図体のどこに収まっているのじゃ! 料理人が材料に妥協することは、絶対に許されんのじゃ!」
 料理にかける情熱と誇りには感心するし、もっともだと思うが、それは本当に命よりも大事なものなのだろうか。しかし、このまま師匠が怒鳴り続けると、龍が気づきかねない。俺は慌ててその場に膝をついて頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「わかればよい。さあ、さっさと探せ。間に合わなくなる」
 俺は慌てて立ち上がって歩き出した。先ほどと同じような大木を探す。
 数本の大木を漁ってみたが、結果は出ない。
 腰の痛みに、思わず背を伸ばした時、少し先に今まで見た中でも一番の大木を発見した。
 近づいてみれば、なんとも見事な大木である。
 何百年とここに根を下ろしているのではあるまいか。
 俺は師匠に声をかけて、共にその木の周りを探すことにした。
「…………これじゃ……」
 しばしの後、師匠が呟くような声でそう言った。
 見れば手が微かに震えている。
 その手が掴んでいるのは、紛れもなく蕾の状態の龍巣茸。
 鼻を近寄せるまでもなく、芳香が漂ってくる。
 そして師匠がそれを掘り出した周りには、同じような状態の、見事な龍巣茸が数本。
 これだけあれば、足りるだろう。
「師匠……」
「姫誕、全て掘り出せ」
 言われるまでもない。俺は傷をつけぬよう気をつけて、周囲にある全ての龍巣茸を掘り出した。
 師匠の言う通り、龍松の葉と共に丁寧に布で包んでさらに袋に入れる。
「これで帰れますね」
 そう言って師匠を振り返った俺は、とんでもないものを目にした。赤みを帯びた鱗に覆われた巨体。
「師匠!」
 陶酔した表情の師匠に慌てて声をかける。
 俺の緊迫した声と、視線に気づいたのか師匠は瞬時に振り返り、事態を正確に把握した。
「逃げるぞ、姫誕!」
 言われなくてもそのつもりである。
「龍巣茸は持ったな?」
「はい!」
 師匠に龍巣茸を渡し、その師匠を横抱きにして、慌てて山を駆け下りる。
 馬までたどり着いたところで、逃げ切れるとは思えないが、とにかく何もせずに殺されるわけにはいかない。折角龍巣茸を見つけたというのに。
 背後でとんでもない地響きが鳴っている。俺はちらり、と後ろを振り返った。
 それは、見たことも無い、不細工な龍だった。
 いや、実物の龍を見るのはこれが初めてだが、絵巻などで見る龍はみなほっそりとして威厳があり、宙を舞う生き物として描かれているのに、この龍はでっぷりと太り、短い足で地を蹴って追いかけてくる。背中には小さな翼が見えるが、あれではとてもあの巨体を浮かすことはできまい。走って追いかけてくるのがその証拠だ。
 俺は精一杯の速度で駆けた。あの様子なら、もしかしたら逃げ切れるかもしれない。
 後ろで木が倒れる音がする。師匠がもったいないと呟いた。おそらく龍松と龍巣茸を惜しんでいるのだろう。
 俺は天の神に祈りを捧げながら龍松の間を駆け抜けた。もう悪態なんかつきませんから、どうか俺と師匠を助けてください。とにかくあの龍をどうにかして下さい。
 その時、俄かに空が掻き曇った。雷鳴が天を、そして山を揺らす。
 ぴたり、と背後の足音が止まった。
 俺の祈りを天が聞いてくれたわけではないだろうが、とりあえずこれは絶好の好機だ。
 馬までは、後少し。とにかく師匠を乗せてしまえば何とかなるだろう。
「姫誕、止まれ」
 何を言っているのだ、と言う顔で俺は師匠を見たに違いない。
 しかし、師匠はそれを咎めなかった。
 俺は、渋々足を止め、師匠を下ろした。地響きは止まっている。代わりに、天から大粒の雨が降ってきた。
「……龍が、昇天するぞ」
 俺はあまりの驚きに、口を開けたまま師匠の顔を見た。
 師匠は、料理中以外では初めて見るような真面目な顔をして空を睨んでいる。
 針葉樹の森の間に、一際大きな雷が落ちた。
 赤い巨体が、その雷に纏わりつくようにして、天に上ってゆく。
 俺は、ただ呆然とその光景を見ていた。
 胴体が太いせいか、短いせいか、あまり美しくはなかったけれど、それは紛れもなく神秘的な光景だった。


「ふむ、これでもう龍巣茸はもうお終いじゃな」
 しばらくたって、雨がすっかりやんだ頃、師匠がぽつりと呟いた。
 それはそうだ。世界で最後の龍が昇天してしまった今、龍巣茸が生える場所はもうない。
「あいつらに食わせてやるのが惜しいのう」
「でも、作れないと言うのはもっと悔しいんでしょう?」
 俺は、山に背中を向けた師匠に問い掛けた。
「当たり前じゃ。帰るぞ姫誕」
 いつも通りの調子で答えが返ってくる。
 とにかくこれで龍巣湯は本当に、幻の逸品になってしまったわけだ。その最後に立ち会えた俺は、幸せな料理人なのだろう。
 師匠が一口でも味見させてくれるといいんだが。そんなことを考えながら、俺は師匠が乗った馬の綱を手にとった。

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