手の掛る奴
「そのくらいにしておけ」
溜息まじりの声。呆れたような眼差しと共に、ミラールは隣で机に突っ伏しているウォルムに声をかけた。
「まだまだ飲みますよーだ。これが飲まずにやってられるかっての。わかりますか? お客さーん」
「誰がお客さんか!」
突っ伏したままで、しかし零しもせずに自らの杯に酒を注ぐウォルムのさまを見て、ミラールは深い溜息をついた。
夜更け近くの酒場は、閉店間際の賑わいを見せていた。客のほとんどがとうに泥酔状態である。
そんな中、一人苦虫を噛み潰したような顔で真っ直ぐに座っている長身の青年は目立っていた。もっとも客の大半は酔いつぶれかけていたので、彼を気にするものはいない。
全くの素面に見える彼の傍らには、酔いつぶれかけている同行者。しかも彼はまだ飲み足りないのか、手の杯に満たした酒を呷り、新たな酒をそこに注ごうとしている。
「いい加減にしろ」
ミラールは彼が掴もうとした酒瓶を横からひったくった。もっと早くにこうしておけば良かったと悔やんでももう後の祭である。ウォルムは完全に座ってしまった目でミラールを睨みつけている。
「返せよー」
「断る」
ミラールは瓶に残っていた酒を自分の杯へと注ぎ、溜息と共にそれを飲み干した。ウォルムの愚痴を聞きながら少しずつは飲んでいたものの、大した量ではなかったため、彼のほうはまだまだ酔う気配がない。
「返してくださいよ……まだまだ飲むんだからさ……」
「駄目だと言って……」
駄々をこねる子供を見るような眼差しでウォルムに視線を移したミラールは深い溜息をついた。
寝ている。
完全に、眠りの海の底に沈みこんでいる。
「起きろ」
そう言って肩を揺すってみても、起きる気配もない。
「お客さん、そろそろ店を閉めたいんですがね」
店の主に言われ、ミラールはあたりを見まわした。先ほどまでそこそこの賑わいを見せていた店内から、ほとんどの客がいなくなっている。
「ああ、すまない」
勘定を払い、ミラールはもう一度ウォルムの肩を揺すった。しかし、やはり起きる気配はない。
仕方なく彼は、やけに機嫌の良さそうな顔で眠っているウォルムの両脇に後ろから手を差し入れ、無理やり彼を引きずり起こした。
「ありがとうございました」
店主の声を後ろに、ミラールはウォルムを引き摺ったまま店を出た。
「持ちにくい、な」
呟いてミラールは一旦ウォルムを店のすぐ横にある路地にいくつも置いてある小さな樽の上に下ろした。ウォルムの足が地に付いていたため、店から路地まで、均された土の上にまるで小さな馬車の轍のように二本の筋が描かれている。
暗い路地の奥で騎龍の姿に戻る。
尾を使って背に乗せてみようとしたが、眠っているウォルムの身体は力が抜けた状態になっており、うまく背に乗せることができない。
ミラールは溜息の代わりに鼻息を漏らし、ウォルムの服を咥えてみた。
鋭い音と共に、布地が裂ける。雑食性の騎龍の牙は案外鋭い。
ミラールは慌てて服を放した。もう少し丈夫な服を着ておけ、と心の中で呟き、仕方なく再び人の姿に戻る。
「しかしどのように運んだものかな……」
里ではほとんど騎龍の姿で過ごしてきた上に、隠れ里から出てきてまだ日が浅い。人の姿で行動することには慣れていないのである。
ミラールはさり気なく通りの様子をうかがった。酔っ払った友人に、肩を貸して歩く男の姿が目に入る。
「ふむ」
あれが、普遍的な姿かどうかはわからないが、周りの人間が注目していないところを見るとおそらくおかしくはないのだろう。
ミラールはウォルムの片腕をとり、先ほどみた男の様子を参考に、その腕を肩にまわした。引きずるようにして、ウォルムを樽から降ろす。
「……これはいかんな」
頭一つ分以上身長の違う二人である。少し屈んでやらなければウォルムの肩がおかしくなりそうだ。しかもウォルムにはほとんどといっても言いほど意識がないため、身体から力が抜けている。ミラールが屈んだところで、彼が自分で歩かない限り、意味がないだろう。
ミラールは深い溜息をつき、ウォルムを樽の上へと戻した。
「すいませんが、そこどいてもらえませんかね」
先ほどの店の主である。今日の営業を終え、明日の営業のために酒樽を取りに来たのだろう。
「すまん」
慌ててウォルムを地面に引きずり下ろす。
店主は、酔っ払いなど見なれているせいか、不審そうな表情を浮かべることもなく、樽を一つ肩に担ぎ上げて店の中へと戻っていった。
「試してみるか」
荷物と人では違うような気もするが、案外運びやすそうな持ち方である。
ミラールは、小さな鼾をかいているウォルムの身体を抱え上げ、肩へと担ぎ上げた。人龍族である彼は人間に比べて遥かに力が強いため、人間一人担ぎ上げたところで何の苦痛にもならないが、なんとなく持ち難いことは否めない。しかし、ともかく運ぶことはできそうだ。
ミラールは路地を一歩出たところで足を止めた。
斜め前の店から出てきた幾人かの酔っ払いが、彼を指差して笑い転げている。
「兄さん、力が強いんだねえ」
からかいまじりの声を残して彼らは去っていった。
「やはり、荷物と人とは違う、か」
呟いてミラールは樽の上へとウォルムを戻し、自分もその脇の樽に腰を下ろす。そして彼は再び通りの様子に目をやった。
通りを見つめること数分。穀物が詰まっていると思しき袋を小脇に抱えた男が通りすぎていくのを見て、ミラールは小さく息を吐いて立ち上がってウォルムを小脇に抱えてみた。
いくら彼より小柄であるとはいえ、成人男性としては普通の体格であるウォルムは、小脇に抱えるには背が高すぎた。どこを中心に持ってみても、うまく均衡がとれず、今にも落ちそうになる。
諦めて樽の上に戻し、自らも再び樽に腰をかけて、幾度目かわからない溜息をつく。
置いて帰ろう、という考えがちらりと脳裏をよぎった。まだそう寒くはない、一晩ここに置いておいても死んだりはしないだろう。
「ミラール」
「何だ?」
不意に名前を呼ばれ、ミラールは慌ててウォルムに目をやった。彼は眠ったままミラールの服の裾を掴んでいた。
「寝言か……」
考えを見透かされたような気がする。恐らくは気のせいだろうが、何となく気が咎める。
連れて帰るしかないのだろうな、と心の中で呟いてミラールは立ち上がった。
通りを観察しようとして、不意に一つの考えに思い当たる。
荷物でも人でも、背に負えばいい。
また笑われるかもしれないが、少なくともそれならば落とす心配はない。
ミラールはウォルムを背に担いでみた。騎龍である時と、さほど変わらない感覚である。
恐る恐る通りに出てみたが、今度は誰もこちらを見ていない。背中から小さな鼾と酒臭い寝息が流れてくるのはいささか気になるが、周りから注目されるよりは遥かにいい。
ウォルムを背負ったまま、何軒かの宿とまだ開いている数少ない店から漏れる明かりを頼りに、部屋を取ってある宿へと向かう。
「こいつの部屋を教えてもらえるだろうか」
宿の入り口近くにいた使用人に案内を頼む。こういった事態はさほど珍しくないのか、使用人はすんなりと彼をウォルムが取った部屋へと案内した。
「こちらです」
ウォルムを、案内された部屋の寝台に投げ出す。そのいささか手荒な扱いも、ウォルムの目を覚まさせることはできなかった。気持ち良さそうな寝顔のままで寝返りを打つウォルムに、呆れたような視線を向けながら、ミラールは宿の使用人に案内の礼を述べた。
「いえいえ、お世話様でございました。ところで、このお客様の騎龍をご存知ありませんか? 確か連れて出られたはずなのですが」
「あ、ああ。脇の路地まで連れてきてあるから、よろしく頼む」
ミラールは答えて踵を返した。そう言ったからには使用人より先に路地についていなくてはならない。
「さようでございますか」
「急いで帰らなくてはならないので、失礼する」
後ろで頭を下げる使用人には目もくれず、ミラールは足早に路地へと向かった。
「なあミラール、何か身体中痛い上に服が裂けてたんだけど、俺、昨日何かやった?」
『知らん』
彼の背で、大きく伸びをしながら欠伸をするウォルムに冷たい口調で言い放つ。服の件に関しては自分のせいなのだが、連れて帰ってやったことでその分は帳消しにされてもいいだろう。
「あー、頭も痛い」
『自業自得だろう』
そう言いながらもミラールは、心持ちゆっくりとした歩調で歩き出した。
「ちぇっ。少しは心配しろよな」
ぼやいてウォルムは盛大な欠伸をもらした。
ミラールは目を細めて空を見上げた。つられてウォルムも視線を上げる。
筋状の雲がゆったりと澄んだ青空を流れていくさまが、目に焼きつく。
この分だと、しばらくは好天が続くだろう。
ミラールは視線を前へと戻した。行く手を遮るものはなく、道はどこまでも続いているように見えた。
4000hitキリ番リクエスト作品です。
「酔っ払い」というリクエストで書かせていただきました。
知人からのリクエストだったので、ちょっと遊んでしまいました。
番外編ということで、勘弁してください。
ミーさんの許可を得て掲載させていただいております。