月の眠る夜


「……というわけで、青年は魔物を倒し、国を救った英雄だと言われるようになったとさ」
 老人は、眠りにつこうとしている孫に向かって、英雄譚を語って聞かせていた。孫はお気に入りの話を、目を輝かせて聞いており、眠りにつく気配もない。
「じいちゃん、そんなの作り話だ、そんなにうまくいくわけないって皆が言うんだ」
 少年は、少し悲しそうな目で祖父に語りかけた。英雄に憧れる彼を、村の仲間たちはいつもそう言ってからかう。
「ウォルム、物語だから話がこうもうまくいくんじゃない、うまくいったからこそ物語として残っているんだ」
「……じいちゃん、俺も英雄になれるかな。魔物を倒したり、お姫様を助けたり……」
 ウォルムは、まっすぐに祖父を見詰めた。
「努力と運しだいだな。その二つがお前を助けてくれる…………さあ、もう寝なさい。眠らないと身体が丈夫にならないよ」
「うん」
 元気良く返事をして毛布をかぶる孫を、いとおしげな視線で見、老人は蝋燭の火を吹き消した。


 ウォルムはいつも通り村の小さな神殿の裏手、深い森の傍にある草地で村の仲間たちと遊んでいた。
 先月来た旅の吟遊詩人の、古の戦を語る歌を聞いてからというもの、棒切れを手にした戦ごっこに明け暮れるのが彼らの日常である。その日も彼らは敵味方にわかれて合戦の真似事をしていた。
 片一方が森から奇襲をかけ、草地に陣取った方がそれを迎え撃つのが決まりで、今日はウォルムたち村の南に住む子供が、森に隠れる番である。
 彼らは森に隠れ、草地に陣取る彼らを襲う隙を見計らうため、攻め込むきっかけを決めて森の中に散った。
「サリューの奴は目がいいからな」
 呟いてウォルムは、昨日見つけておいた取っておきの隠れ場所へと急いだ。一昨日彼らが森に隠れた時は、相手の斥候によって大半の位置が見つけ出され、散々な結果に終わっていた。
 今日こそは何としても勝たなくては……戦が下手な英雄なんて、さまにならない。拳をぎゅっと握って足を速めたその時、ウォルムは曲がりくねった木の根に足を取られ、半ば転がるようにして崖から滑り落ちた。
 散開していた仲間たちは、そのことに気付かなかった。
 彼らがウォルムの不在に気が付いたのは、戦ごっこが終わり、遊びの昂奮から覚めてからである。
「ウォルムはどこに行ったんだ?」
「森に隠れる前は確かにいたよなぁ」
 すでに空気は夕陽の紅に染まっている、辺り一面が闇に閉ざされるのはすぐだろう。親に叱られないためには、もう帰途につかなくてはならない。彼らは、ウォルムの家にしらせることにして、その場を立ち去った。


「いってえ……」
 ウォルムは頭を押さえながら上半身を起こした。崖から落ちる際に打ったらしく、頭がずきずきと痛む。
 見ればあたりはもう暗い。帰らなくては、母に叱られるだろう。
 立ち上がろうとして彼は、右足が酷く痛むことに気が付いた。
「なんなんだよ、一体」
 傍の木を杖に立ち上がろうとして、再び座り込む。歩けそうにない。
 仲間の誰かがもう家に伝えてくれただろうか、そうしていてくれれば、親が捜しに来てくれるだろう。おそらくこっぴどく叱られるだろうが、歩くことは愚か、立ち上がれないようではそれも仕方がない。
 ウォルムは、溜息をついて傍らの木に凭れた。見上げれば、きつい傾斜。落ちたと思しき辺りは低木が茂っている。親は自分を見つけてくれるだろうか。
 急に不安になった彼が、これも英雄になるための試練だ、頑張らなくちゃと呟いて自分を励まそうとした時、彼は遠くの木々がざわめくのを聞いた。
「まずい……」
 このざわめきは、獣が森を歩く音だ。そう判断したウォルムは青ざめた。
 一層まずいことに、ざわめきは段々と近づいてくる。
 彼は、懸命に立ち上がろうとしたが、やはり右足はひどく捻ったらしく、言うことをきかない。腰を地につけたまま、腕の力で後ろに這いずってはみたが、村に戻るためには、落ちてきた崖を上らなくてはならない。どう頑張っても、腕の力だけでは登れそうもない傾斜である。
 ウォルムは落ち着かなげに辺りを見回した。
 ざわめきが、やむ。
 一呼吸後、彼の視界の端で藪が音をたてて割れた。
 出てきたのは、まだ幼い彼よりも大きな狼。
 それも、二頭である。
 ウォルムが思わずあげた悲鳴を契機に、先頭にいた狼が彼に向かって飛び掛った。
 咄嗟に横に転がって、狼の一撃を躱す。
 うまく避けることはできたが、転がった態勢から上半身を起こした時にはもう、もう一頭がこちらに向かって駆け寄ろうとしている。
 もう駄目だ!
 ウォルムは目を瞑って頭を抱えた。
 その頭上を、空を切り裂く音が通り過ぎる。
 狼の、情けない悲鳴を聞いて、ウォルムは恐る恐る目を開けた。
 目の前には、地に座り込み、額から血を流している狼。もう一匹は、彼のはるか頭上を睨みながら、歯を剥き出して唸っている。
 枝を踏み拉く音と共に、一人の男が崖を駆け下りてきた。身形から見るに、旅の途中であるようだ。
 男はウォルムの目の前に立ち、腰の剣を抜いて狼を睨みつけた。
 まず、座り込んでいた方の狼が、尻尾を下げて踵を返した。振り向きもせずに、現れた藪の中へと消えていく。唸っていたもう一頭も、ちらりとこちらを見て、その後を追った。
「大丈夫か、坊主」
 男は剣を鞘に収めながら振り返って尋ねた。月明かりを背にした彼の、明るい茶の髪がまるで黄金のように輝いている。
 幼い少年には、月に照らされた彼の姿は、まるで物語の英雄ででもあるかのように思えた。
 しばし見惚れ、はっと我に返って慌てて頷く。
「そりゃあよかった」
 そう言うと同時に、男はウォルムをひょい、と抱え上げた。間近で見ると、男は祖父と同じような優しい茶色の瞳をしていることがわかった。
「あ、ありがとう……ございました」
「大したことはしていない、気にするな。たまたま近くにいただけだ。……坊主の家はどっちだ?」
 ウォルムは痛む腕を伸ばして方角を指し示した。何でこんなところの近くにいたんだろう、という疑問がないわけではなかったが、助けられた相手に失礼なような気がして、それを尋ねるのはやめた。
 男は少し迂回して、やや緩やかな斜面を登った。
「森に入るときはもう少し気をつけろよ」
 笑顔で言う男に頷いて、ウォルムは耳を澄ませた。
 風に乗って、彼の名を呼ぶ声が聞こえてくる。遠くに松明の灯りを見つけて、ウォルムは大きく息を吐いた。
「親か?」
「うん」
 こっくりと頷くウォルムを見て、男は静かに彼を地に降ろした。
「もう安心だろう? じゃあな」
「あの……」
 まだ礼も言い足りないし、親もきっと彼に礼を言うだろう、旅人であれば夕食と一晩の宿くらいは提供するはずだ。そう言おうとしてウォルムは口を開いたが、男はにっこりと笑って彼の頭を撫で、そのまま立ち去った。
 ウォルムはその長身の影が、神殿の裏手に消えていくのをただ見送っていた。
 崖の上から投げた何か……おそらく石礫だろう……と一睨みで狼を退けた男。そして、それをなんでもないことのように言って立ち去っていった男。
 ……彼のように、なりたい。
 心に、彼の姿がくっきりと刻まれている。自分も、いつか誰かの心に、同じくらい鮮やかに刻まれたい。
 近づいて来る呼び声に、無意識のうちに答えながら、ウォルムはただそれだけを考えていた。


「……昔の俺にとっての彼みたいな英雄になりたくて旅に出たんだ」
 ウォルムは、彼の乗騎である騎龍ミラールに自らの旅立ちの理由を語っていた。
 ミラールは、ぱっと見ただけではそこらに山ほどいる騎龍と変わらないが、実は龍族の長たる一族、滅び行こうとしている人龍族の一員である。その証拠に、他の騎龍と違って彼は人語を解し、また人の心に語りかけることができる。人龍族というだけあって、人の姿をとることもできるらしいが、ウォルムはまだ彼が人の姿をとったところを見たことがない。
 そもそもウォルムの昔語りは、ミラールが何の気なしに、ウォルムが旅をしている理由を聞いたことが発端なのだが、尋ねた当人は、思いがけなく長くなった話に飽きたのか、木の根を枕に退屈顔である。
 もっともウォルムの方も、うつ伏せになって蹲っているミラールの腹に、頭の後ろで組んだ手を枕にして半ば仰臥するような格好で寄りかかり、足を組んで焚き火にあたるという、楽な姿勢を取っている。
『それが、お前の旅にでた理由だというのか?』
 ミラールは少し呆れたような口調で、ウォルムの心に語りかけた。
「ああ。俺は、誰かの心に残る英雄になりたい」
 ウォルムはもう一度、呟くように言い、木々の隙間から僅かに見える空を見上げた。新月であるため、夜空に玲瓏たる月の姿はない。ただ星々がさやかに瞬いているのみである。
 ミラールは、木の根にのせていた頭を僅かに上げ、空を仰ぎ見る彼を見た。
『成人してなお、そんな子供じみた夢を本気で追っているとはな……』
 それだけ言って再び木の根に頭を戻す。
「うるせえ」
 ウォルムは、頭の後ろで組んでいた手を解き、ミラールの腹を軽く叩いた。
 不愉快そうな身震いが返ってくる。ミラールの尾が、軽く地面を打った。
 寄りかかっていたウォルムは、慌てて身体を起こした。人間を乗せて軽々と走る騎龍の身体は、彼の数倍の大きさである。軽く身震いされただけでも、結構な振動だ。
『まあ、付き合ってはやるが、馬鹿な野望のために私の身を危険に晒すなよ』
 私の身は、私だけのものではないのだから、とミラールは続けた。彼は残り少ない人龍族の、更に残り少ない若者の一人なのである。種族のためにも、身を傷つけるわけにはいかない。
「危険になったら逃げればいいだろ」
 機嫌が悪い時の癖でゆるやかに尾を振っていたミラールが尾を振るのを止め、収まりがいいよう少し曲げたままそっと地に降ろすのを見て、ウォルムは再び彼の腹に寄りかかった。
『そうはいかん。お前は里の下働きになるかもしれん男だ。よその連中に損なわせるわけにはいかん』
 二人の出会いは、ウォルムがミラールの住む里に現れた時に端を発している。ミラールは、里に伝わる宝剣を欲する彼と「人龍族の娘を見つけることができたなら宝剣をやろう、ただし見つけることができなかった場合は一生里の下働きだ」という賭けをした。彼が逃げないよう見張るという口実で、こうして共に旅をしている。
「けっ、言ってろ。俺はお前の嫁を見つけて宝剣を貰う。下働きなんぞになるもんか」
 滅び行こうとする人龍族の娘を見つけるのは困難だろうが、ウォルムには不思議と自信があった。滅びているわけではないのだから、きっとどこかにはいるはずだという根拠のない自信である。
 ウォルムは、毛布を身体に巻きつけて、本格的に眠りに入る態勢を取った。
『ふん』
 鼻を鳴らしてミラールは首を伸ばし、軽く息を吹き付けて焚火を消した。小さくなっていた焚き火の炎が燠となり、森の静かな暗闇に、夜空の星々のように煌く。
 炎が消えたのを見て、ミラールは伸ばした首を戻して再び木の根を枕に戻した。

 程なく、一人と一匹は穏やかな眠りについた。


 999hitキリ番リクエスト作品です。「英雄」というリクエストで書かせていただきました。
 どうも私の中の英雄はあまりかっこいいものではなかったようです。
 リクエストにお応えできたのか少々不安です……。
 許可を得て掲載させていただいております。