風の見る夢

「また外れかぁ……」
 騎龍の背で、ウォルムは大きく溜息をついた。
 人龍族の隠れ里があるという噂の山をくまなく探索したものの、里はおろか家の一軒も見つけることができなかったのである。
 『仕方あるまい。人龍族はもう過去の存在となりつつあるのだ』
 ウォルムの心に、静かな声が響く。彼の騎龍ミラールの声である。
「でも、お前の里はまだあるだろ」
『ああ。しかし我が里の者も、ほとんどはもう老いている。このままでは滅びるのは時間の問題であろう』
 里の若長である彼がこうして旅に出ているのも、里の若人はもう彼と幼い弟だけであるからだ。
「自分の種族が滅びそうだってのに、他人事みたいな口きくなよ」
 呆れたような口調で言う。周りに人の姿がないから良いようなものの、もし誰かがいたら、騎龍に話し掛ける変人扱いされることは間違いない。騎龍に乗って旅をする者自体は珍しくないが、人語を解する騎龍は、人と龍、二つの姿を持つ人龍族のみである。そして、その人龍族は伝説の存在となりつつあるのだ。
『足掻いたところで運命には逆らえぬ』
「いや、俺は絶対にお前の嫁を見つけて、賭けに勝つ」
 彼は、かつてミラールと「お前の嫁を見つけたら、里に伝わる宝剣を貰う」という賭けをしたのである。ちなみに負けた場合は、一生を里の下働きとして終えることになっているが、彼が嫁探しを諦めたと言うまでは賭けが続行されることになっているため、彼が賭けに負けることはまずないだろう……勝てないままであるとしても。
『酔狂な男よ』
 ミラールは、ふん、と鼻を鳴らした。
「あー、疲れた。とにかく今日は早いとこヤヴァナの町に戻ってゆっくりしようぜ」
 ヤヴァナは、ここしばらく彼が根城代わりにしている町である。町の面々ともすっかり顔馴染となっている。
『異論はない……ないのだが……』
 いつも断定的に、はっきりと物を言うミラールが言葉に詰まるのを聞き、ウォルムは不審げに眉を顰めた。
「どうしたんだよ」
『その……前と同じ宿に泊まるのか?』
「そのつもりだけど、嫌なら変えてもいいぜ」
 ミラールは慌てて首を振った。つられて背が大きく揺れる。
「危ねえなあ。何なんだよ、はっきり言え」
『……宿に、娘御がいるだろう』
「ああ。ちょっと可愛いよな、あの子……ってお前、まさかとは思うが……」
 ミラールは一瞬の間をあけて、小さく頷いた。
『悪かったな』
 照れを隠すようにそっぽを向く。
「いや、別にいいけど、あの子は人間だぞ?」
『それくらいはわかっている』
 いつもにもまして静かな、沈んだ声。ウォルムは大きく息を吐き、頭を抱えた。
「賭けはどうすんだよ」
『続行しても構わぬ。見つけた娘は弟の嫁に迎えれば良い』
「ならいいけどさ。本気なのか?」
 ウォルムの問いに、人龍族の若長は空を見上げ、軽く溜息をついてから答えた。
『あのように優しく扱われたのは初めてだ』
 どうやら本気らしいと知って、ウォルムは悟られないように肩を落とした。おそらく彼が同年輩……かどうかはしらないが、若い異性に優しくされたのは初めての経験なのだろう。世間知らずはこれだから困る、と心の中で呟く。しかし、共に旅をしてきたミラールのためにも、ここは一肌脱いでやらねばなるまい。
「ま、とにかく当たって砕けろだ」
『あまり砕けたくはないが……』
「そりゃそうだ。まずは、その姿のままじゃ駄目だな。あの子だって、人龍族だ、なんていきなり打ち明けられても困るだけだろう」
 ミラールは素直に頷いた。里から出てきてもう半年になるとは言え、ずっと普通の騎龍として過ごしてきたため、人間のことはまだあまりよくわからない。
「せっかく人間の姿があるんだから、その姿でお近づきになるところからだな」
『ふむ』
「とりあえず、変化してみろよ。俺も見てみたいし」
 里で会った時から彼は今のこの騎龍姿であったため、ウォルムもまだ彼の人間姿は見たことがないのである。さっそく飛び降り、彼はミラールが変化するのを待った。
『ではしばらくぶりに人間姿をとるか……』
 ミラールは口の中で数語を呟いた。もやもやとした煙のようなものがミラールを覆い隠す。
 ウォルムは心配半分、好奇心半分で、煙が晴れるのを待った。数秒の後、ゆっくりと煙が薄れ始めた。煙がはれた瞬間、ウォルムは呆けたような表情を浮かべた。目の前に立っていたのは、白皙の青年。風に揺れる、少し癖のある髪は、鬣と同じくすんだ金、瞳は深みのある緑。切れの長い、涼やかなその目で見つめられたら、月さえもが恥らって姿を隠しそうだ。
「…………なあ、お前が人間に変わる時って、どんな姿か選べるのか?」
「いや、これが私の人としての姿だ。装っているわけではないから、この姿にしかなれん。おかしいか?」
 心に直接語りかけていた時と同じ、低い艶のある声。長身のその姿に釣り合う美声である。
「おかしくはないよ、おかしくはない……」
 おかしくはないどころか、都にだってそうはいないような貴公子ぶりだ。さすがに龍族を統べるという人龍族だけはある。
「……案外うまくいくかもな」
 ウォルムは軽い溜息と共に言った。完璧すぎる姿を見せ付けられるのは、少々面白くない。
「案外、か。あまり嬉しくない言われようだ」
「気にするなって。さ、行こうぜ」
 ウォルムは先に立って歩き出した。


「ただいまっ」
 ウォルムは威勢のいい声と共に、定宿にしている「泡立つ泉亭」
の扉を開けた。この大陸の宿屋の大半がそうであるように、一階は酒場になっている。夕食時であるため、店はほどほどに混雑していた。
「お帰りなさい」
 優しい微笑みを浮かべて、宿の娘が出迎えるのを見て、ミラールは頬に軽く朱を刷いて横を向いた。
「あら? お友達ですか?」
「そう。俺の旧い友達のミネラティール」
 ウォルムは、娘が彼の乗騎の名を知っているため、普段は呼ばない正式名称で彼を紹介した。
「いらっしゃいませ」
 そう言って娘は丁寧に頭を下げた。
「あ、ああ」
 慌てて頭を下げるミラールを見て、娘はくすりと笑った。
「ごゆっくり。何か飲み物をお持ちしますね」
 そう言って下がる娘の後姿を、ミラールはただぼうっと見送った。
「あんまり見るなよ、気付かれるぞ」
 小声で注意して、厨房近くのいつもの席へと向かう。
 娘が運んできてくれた酒瓶を開け、宿の女将の作った料理を食べながらも、ミラールはどこか心ここにあらずといった風情であった。
 テーブルの間を縫うようにして、物を運ぶ娘を見ては、小さな溜息をつく。
「見ちゃいらんねえなぁ……」
 ウォルムは気付かれぬよう小声で呟いた。もっとも耳の傍で怒鳴ったところで気付かれないような気がする。
「良く働く娘御だ……」
「ようやく喋ったと思ったらそれかよ」
 呆れたような表情を浮かべて毒づく。
 「何か言ったか?」
「いや、別に。飯ちゃんと食えよ。うまいだろ?」
「ああ」
 聞いちゃいねえな、と呟き、ウォルムはミラールの皿から肉片を一つ掠め取った。案の定彼は気付かない。
 目が合った娘に、にっこりと微笑みかけられて、ミラールは思わず手にしていたパンの欠片を取り落とした。
 落としたことにすら気付かない様子のミラールを見て、ウォルムは疲れたように溜息をついた。
「ミネラティール、いいか。彼女は店が閉まる時間の少し前になったら、洗い物用の水を汲みに井戸にくる。手伝うって言ってやれよ。話をするいいきっかけになるだろ?」
 ウォルムは人龍の耳元で囁いた。
「わかった」
 しっかりとした答えが返ってくる。こんな時だけちゃんと聞こえてやがるのかよ、現金な奴だ。ウォルムは不貞腐れたように呟いた。


「よければ手伝わせてもらえないか?」
 ウォルムの言った通り水を汲みに来た娘に、ミラールはおずおずと声をかけた。
「ありがとうございます。でも母さんにしかられちゃう」
「見つからなければ良いだろう」
 そう言ってミラールは、井戸の釣瓶を上げ、娘が運んできた水瓶が一杯になるまで水を注ぐと、それをひょい、と抱え上げた。
「どこに持っていけばいい?」
「ええと、こっちです」
 導かれるままに、厨房の裏口まで運び、盥に水を注ぐ。横には洗い物の山が積んである。
 「外で洗い物か。冬などは大変ではないのか?」
「ええ。でも、これも仕事ですから」
 娘はそう言ってしゃがみこみ、汚れた食器を丁寧に洗い始めた。
 「普段は何をしていらっしゃるんですか?」
 ミラールは、顔を上げて問う、その小首をかしげる仕草に心を奪われるのを感じた。
「村長の息子として暮らしている……本当に小さな村だが」
「この辺りの……?」
 訝しげな顔で問う。この辺りでは見かけない顔である。
「いや」
「では、旅をなさっているんですね」
「ああ……」
 顔を見ると赤面してしまいそうで、ミラールは娘の良く動く手元を見ながら答えた。もっとうまく話すことができないのか、と自分を責める。こんなぶっきらぼうな返事をしていてはいけない。そう思うが、うまい言葉が出てこない。
「村を留守にしていいんですか?」
「村の用で出てきている」
 自分の愛想のない受け答えにもかかわらず、優しい笑顔のままで話を続ける娘がいとおしく思える。この娘と共に在れたらどんなにか幸せだろう。村長の地位は、弟が大きくなるのを待って譲ればいい。どうせ滅びる運命の一族だ。それが一代や二代早かったところで、何ほどのことがあろう。
「大変ですね」
 娘は食器を洗い終え、濯ぎの水を汲むために立ち上がった。
「水なら私が汲んでくる」
「あんまり早く終わると、母さんに怪しまれちゃいますから」
 ミラールの手から水瓶を受け取り、娘はにっこりと微笑んだ。
「そうか……」
「本当にありがとうございます。助かりました」
「いや、大したことではない」
 そう言って背を向けるミラールに向かって、娘はおずおずと話し掛けた。
「あの……ミネラティールさんはウォルムさんのお友達、なんですよね」
 ミラールは振り返った。水瓶を抱えたまま、娘は俯いている。
「ああ……そうだ」
 一瞬口篭もったのは、ウォルムとの関係を友人と称していいのかどうかに悩んだためである。
「えっと、お願いがあるんです」
 恥じらいを見せる娘を見て、ミラールは嫌な予感に襲われた。まさか、奴との間を取り持ってくれというのではないだろうな。そう考えると、今までの態度も腑に落ちる。乗騎である自分に優しくしてくれたのも、酒場で良く目が合ったのも、彼女がウォルムを気にかけていたからなのだろう。
「あの、ウォルムさんと一度二人だけでお話してみたいんです。よろしければ……」
 ミラールは、娘の言葉を最後まで聞かずに頷き、わかったとだけ告げてその場を立ち去った。
 酒場にいるウォルムに裏庭の井戸に行くよう声をかけ、椅子に腰を下ろし、背凭れに寄りかかって小さな溜息をつく。
「縁がなかったのだ」
 呟いてみても気は晴れない。くるくると良く動く茶色の瞳、自分の頭を撫でてくれる時の優しい微笑。思い出すだけで胸に痞えを感じる。人龍族の娘を探し、跡取を残す。その使命を忘れてもいいとさえ思ったのに。
 彼は酒瓶を掴むと、その中身を一気に喉へと流し込んだ。


 あくる日、二人の姿は街道にあった。ミラールは騎龍の姿に戻っているため、一人と一匹というべきかもしれない。
「悪かったな」
 ウォルムは呟くように言い、ミラールの首筋を叩いた。
『構わぬ。一族を疎かにしようとした私が悪かったのだ』
 いささか沈鬱な声が脳裏に響く。
『儚い夢を見た、それだけのこと』
 自分に言い聞かせるように言い、人龍族の若長は微かに笑った。
『……あの宿を出てきてしまってよかったのか?』
「んー。俺は酒場の主に収まる気なんかないからな」
 そう言ってウォルムは手綱から手を離し、頭の後ろで組んだ。可愛い子ではあったが、自分にはまだまだやりたいことがたくさんある。あの小さな町に、いつまでも留まっているわけにはいかない。
「さ、そんなことより龍族の可愛い娘を探しに行くぞ」
『ああ』
 答えてミラールは駆け出した。ウォルムが手綱を握っていないのは承知の上である。
 駆け出したミラールの背が大きく揺れる。ウォルムは慌てて手綱を掴み、小声で毒づいた。
 風が、ミラールの鬣とウォルムの髪を揺らす。
 日はまだ高い。この勢いならば、次の町はすぐだろう。
 まだ見ぬ同族との出会いへの期待と、疼くような痛みを胸に、ミラールはひたすら走り続けた。


 333hitキリ番リクエスト作品です。「ドラゴンと青年」というリクエストで書かせていただきました。
 許可を得て掲載させていただいております。