導きの棒杖

(お題:034 迷いの森の守護者)


 カナトゥは静かに深呼吸をひとつして、目の前の扉を叩いた。
 扉の中からの応答はなかったが、いつものことなのか、彼は慣れた手つきでその扉を開けた。
 散らかってはいるが、彼ともう一人のお陰でけして不潔ではない部屋の中では師匠がいつものように魔術書に没頭している。
「師匠、しばらく旅に出てきます」
 老人が扉の開く音に気付いてようやく顔を上げたのを確認して、カナトゥは静かに頭を下げた。
 彼が知人二人と共に、依頼を受けた物の探索を生業とし始めてからもう五年、もう一人の弟子であるキィルがそれに同行するようになって二年の月日が過ぎている。いつものこととあって師であるムートは驚いた顔ひとつ見せずに尋ねた。
「どこへ?」
「北方の、赤葉の森です」
 カナトゥは頭を上げて答えた。視線の先に、綿のようになった埃を見つけて拾い上げる。カナトゥがこの老人に師事してからもう十年、いやもう十五年近くになる。師匠の魔術の知識や技術には多大な尊敬の念を抱いているが、この無頓着ぶりにはいつまで経っても慣れることができない。
「ふむ。お主らならば大丈夫だとは思うが、気をつけろよ」
 ムートはそう言って魔術書に再び視線を落とした。普段からこの老人は自らの研究以外のことに興味が薄い。
「わかっております」
「……ちと待て」
 ふと何かを思い立ったような表情で顔を上げたムートは、立ち去ろうとした弟子を呼びとめた。
「何でしょうか」
 振りかえったカナトゥは、やや不安げな表情で尋ねた。師匠がこのような表情を浮かべているのは、大体ろくでもないことを考えている時である。
「赤葉木の葉取りか?」
 この近在では、都から大して離れていない森の中心にただ一本しか生えていない赤葉木の葉は、いくつかの魔術儀式に使われる材料の一つである。しかし、その森が危険な場所であるため中々手に入らない。しかもその上、赤葉取りの名人と言われた老魔術師が森に行ったきり帰って来ないため、最近は特に品薄の状態が続いており、この都に住む学究肌の魔術師たちが争って買い入れているものの一つでもある。名人の協力のもと、魔術師達が赤葉木を増やそうという試みをしていたこともあるが、どうしてもうまくいかなかった。そもそもその老人ですら、赤葉木の実を見たことはないという。
「ならば、ついでに儂にも一、二枚わけてくれ。もちろん金は払う。一度に全て買い取る奴はいないじゃろう?」
 木自体の状態が酷く悪化したことがあるため、赤葉木の葉は一度に五枚までしか採取できないと定められている。取りに行ける者が少ない上に一度に五枚しかとれないとあって、その価格は高騰する一方である。
「…………」
 先ほどの嫌な予感はどうやら杞憂だったらしいと心の中で呟きながら、カナトゥはしばし考えこんだ。確かに依頼を受けているのは三枚。それも一枚ずつ別口である。最初から、五枚取ることができたらその余りは売りさばくつもりだったのだから、その先が師匠でも別に構わないはずだ。仲間たちも別に異論を唱えたりはしないだろう。
「二枚ならばなんとか」
「ならば、この杖をやろう」
 カナトゥは師匠が取り出した棒杖を見た。自分が普段使っているものよりも短く、頭に薄い赤色の石が嵌ったそれに見覚えはない。
「先日作ったばかりじゃ」
 弟子の訝しげな視線に気付いたのか、ムートはそう言って棒杖を差し出した。実を言えばこの棒杖は、探索者である弟子に赤葉木の葉を取ってくるよう依頼しようと思って作ったものである。自分が頼むより先に、他所で依頼を受けてきたのには驚いたが、葉が別に手に入るのであればそんな事はどうでもいいことだ。
「この杖は……?」
 カナトゥは受け取った棒杖を様々な角度で眺めながら、話は終わったとばかりに魔術書へと視線を戻した師に尋ねた。この棒杖は、彼の知識にある限りの魔術書に載っているものではない。おそらく、師匠が独自に作り出したものだろう。
「行くべき路を指し示してくれる杖じゃ。迷ったら使うがいい。きっと役に立つ」
「ありがとうございます」
 使う羽目にならないといいのだが。そう考えながらカナトゥは、魔術書から頭を上げようともしない師匠をそのままに部屋を出た。


「そう言うわけなんだが、余りはうちの師匠に売っても構わないだろうか」
 カナトゥは、まだ都を出たばかりとあってのどかな表情の仲間たちに尋ねた。
「別にいいぜ、なあレヴ」
 癖のある赤毛頭の後ろで手を組んで鼻歌を歌いながら歩いていたマイアーはそう言って振りかえった。
「この仕事にあの爺さんが絡むって考えるとちょっと気になるが、まあいいさ」
 答えたのは短い黒髪の青年である。尋ねた青年に比べるとやや痩せ型だが、良く鍛えられていることがわかるその細身の腰には一振りの剣が下げられている。
「あの爺さんからの依頼じゃないから別にいいじゃねえか」
 同意を求めるようなマイアーの視線に、キィルは苦笑で答えた。澄み切った空のように青い瞳を持つ彼女はムートのもう一人の弟子である。
「しっかしあの爺さんの依頼じゃないってだけで心穏やかだな」
 レヴは誰に言うともなしに呟いた。
「ろくなことなかったからなあ」
 その呟きを耳に止めたマイアーが、その鬣のような赤毛を揺らしながら幾度も頷く。
 カナトゥはそんな二人の様子を見ながら苦い笑みを浮かべた。確かに、師匠の依頼で出かけた仕事では必ず思いもかけない苦労を背負いこむ羽目に陥ってきた。二人がそう考えるのも無理はない。というよりも、全く以って同感できることである。酷い時には龍と戦わざるを得ない状況になってしまったことさえあるのだ。
「ま、金払いはいいんだ。それだけで許せるさ」
 マイアーの台詞に、レヴが違いない、と応える。
 ムートの弟子二人は、視線を交わして同時に肩を竦めた。


 森までの行程は何事もなく過ぎた。そして森に入って三日後、彼らは思いがけないことに、何一つ問題なく赤葉木の前に辿りついた。
 彼らの目の前には一本の古木。背は低いが二抱えもある幹は、大人の握りこぶしほどもある節、そしてその名の通り年中赤いという、どこか歪な形の葉で飾られている。
「これが、あの赤葉木か……」
 レヴはその古木を見上げながら呟いた。大きな葉を透かして差しこんでくる赤い太陽光が眩しい。
「意外と楽だったな。何であんなに色々言われてるんだ?」
 マイアーはレヴと並んで赤葉木を見上げながら言い、カナトゥを振りかえった。
 この森には、見たこともない怪物が出る、妖精に迷わされて出てくる事ができない、森で死んだ者の幽霊が出るなど、色々な噂がある。その内の一つ、入った者の内ほとんどが出てこないという噂は真実である。事実、この森で行方不明になった者の数は多い。
「気を抜くなよ。あれだけ言われているからには、この森が難所であるのは間違いがないはずだ」
 カナトゥは真面目な顔で答え、眉根を軽く寄せた。ここまで何事もなく来た為に、自分の心にも緩みが出ている。引き締めなくては、とカナトゥは心の内で自分に言い聞かせた。
「そんなことよりさっさと葉を取っちゃいましょ」
 キィルは兄弟子の渋面を気にもしない様子で言い、木を見上げて葉を物色し始めた。
「大きいのがいいよねえ。あそこのとかどうかな」
 一際色艶のいい葉がついている枝を指を差して、四人の中で一番背が高いマイアーを振りかえる。
「あれか」
「お前でもちょっと届かねえだろ、俺が登る」
 そう言ってレヴはいくつもある節に手を掛けてするすると木を登っていった。瞬く間に目当ての枝の傍へと辿りつく。
「これでいいんだな?」
 キィルが頷くのを見て、レヴはその枝から見目のいい葉を五枚摘み取った。
「いよっと」
 葉を手に持ったまま飛び降り、手も膝もつかずに着地すると、レヴはそれをカナトゥに手渡した。カナトゥは葉が傷つかないよう幾重にも布に包み、まっすぐな木の板に挟んでそれを紐で括った。
「さ、帰ろうよ」
 既に赤葉木に背を向けているキィルの後を追って、他の三人も踵を返した。


「……確かにこりゃ色々言われるわけだ」
 マイアーは溜息をついて目の前の岩の陰からのぞいているものから目を逸らした。
「やだ、早く行こうよ」
 兄弟子の背から恐る恐る首だけを出してそれを見ていたキィルは兄弟子の上着の裾を引いた。
「そうだな、ここではろくな弔いもしてやれんし、連れて帰るわけにも行かないからな」
 カナトゥはさり気なくキィルの手を服から外して、そう古くもない、あきらかに人のものとわかる骨に背を向けた。
 数時間、彼らはほぼ無言のままで歩き続けた。
 何かに気付いた様子で、レヴが立ち止まる。
「俺たちもあの骨みたいになりかねないぜ……見てみろよ」
 レヴは真っ直ぐ前を指差した。示す先には、この森に一本しかない、そして見覚えのある赤葉木。
 キィルとマイアーは顔を見合わせ、同時に顔を廻らせてレヴを見た。その視線を受けたレヴが軽く肩を竦めて首を横にふって見せる。
「カナトゥ、どう思う?」
 レヴに問われ、カナトゥは先ほどの彼の仕草を真似て軽く肩を竦めて見せた。
「何とかしないと、私たちも骨になるな」
「カナトゥ……お前も大分俺たちに染まってきたな。けど、今聞きたいのはそんなことじゃねえ」
「わかっている。少し時間をくれ」
 苦い笑いを浮かべるレヴに、真顔に戻って答え、カナトゥはその場に立ったまま軽く目を閉じた。
 感覚を研ぎ澄ませ、魔力の気配を探る。この森に入ってから試みた幾度かと同じく、何の気配も感じられない。ということは、魔力によって空間が捻じ曲げられているわけではないようだが、自分より優れた魔術師が悟られないようにと気を配って掛けた術で、自分には気付くことが出来ないだけということも考えられる。そしてこれが本当に魔術による罠であれば、太陽の向きや遠くに見える山などは頼りにならない。
 小さく息を吐いて手近な木に凭れかかったカナトゥは、腰の後ろに違和感を感じて手を後ろに回した。その手に触れたのは、短い棒杖。出立前に師から貰ったあの棒杖である。赤葉木まで順調に来た為、思い出しもしなかったが、確かこの師匠は迷ったらこれを使えと言っていた。
 カナトゥはそれを手に取って眺めた。貰った時には気付かなかったが、先端につけられた薄赤色の石の下に、古代語で「我を導け」と刻まれている。恐らくはそれを唱えるとこの棒杖の力が発揮されるのだろう。
「何それ? 師匠の?」 
 キィルは兄弟子の手元を覗き込んだ。見覚えのない棒杖である。カナトゥの専門は魔術具の作成ではないから、これを彼が作ったということは考え難い。自分達の師であるムートが作ったと考えるのが自然だろう。
「ああ。迷った時に使えと言われていたんだが、赤葉木までは何もなかったから忘れていた」
 カナトゥは軽い溜息と共に答え、もう一度棒杖に目をやった。師匠は色々な術をこなす器用な魔術師だが、特に得手としているのが魔術具の作成である。この棒杖の性能に問題はないはずだ。しかし、何故か心の奥底に拭い去れない不安がある。
「とにかく使ってみようよ。ぼーっとしてるよかいいでしょ」
 兄弟子の不安を見て取ったのか、キィルはいつもの通り明るい口調で言って、自分より頭一つ近く背の高い彼の肩を軽く叩いた。
「そうだな」
 頷いてカナトゥは棒杖をキィルに手渡した。
「へ? あたし?」
「こういった術はお前の方が向いているだろう?」
 どうせ発動するのは師匠の術だからどっちが使っても変わらないと思うけど、と呟きつつもキィルは素直にそれを受け取った。兄弟子に悪気がないのはわかっている。彼はただ慎重過ぎるだけなのだ。
 キィルは棒杖を持った腕を伸ばし、その先端の石を見つめた。残りの三人の視線が彼女に集中する。
「じゃあ、行くよ……我を導け!」
 彼女がそう唱えた刹那、棒杖の先端に嵌められた石が淡い赤光を放ち始める。それはゆっくりと強さを増し、やがて一筋の光となった。
「おっ……この方向に進めってことか?」
 マイアーは光の行方を目で追った。
 その彼の隣に立っているレヴが、肩を落として溜息をつく。光の行方をみるまでもなかった。その方角には覚えがある。
「…………なるほどね、迷ったら使え、か」
 キィルは溜息と共にそう呟いて、杖を兄弟子へと放った。真っ直ぐ赤葉木を差していた赤い光がすっと消える。
 心底疲れきったような表情でカナトゥはそれを受け止めた。
「あの爺さん、相変わらず自分のことしか考えてねえ」
 辿りつけなかったら困るからなんだろうなと続けて呟き、レヴはカナトゥの肩をぽんと叩いた。
「役に立たねえなあ……」
 マイアーは癖のある赤毛をかきまわして溜息をついた。
「まあ、あまり役には立たないかもしれんが、使い道はある」
 カナトゥは棒杖をキィルへと投げ返し、もう一度呪文を唱えるように言った。軽く首を傾げながらも、キィルは兄弟子の言葉に従った。石が再び光を放つ。
「この光の差す方向と逆に歩き続ければいい。真っ直ぐ外周に向かえるとは限らないし、魔術による罠でもあったら意味がないかもしれんが、それでも無闇に進むよりはいいだろう」
「……あんまり希望が持てる感じじゃないが、それしかないか」
 レヴは軽く肩を竦めて歩き出した。
「キィル、疲れるだろうから、時々でいいぞ」
 カナトゥはそう言ってレヴの後に続いた。ほっとした表情でキィルがその後を追う。
 マイアーは、ちらりと赤葉木を振り返った。石から発せられた光と同じように赤い木は、もう少し歩いたらすぐに他の木々に埋もれて見えなくなるだろう。
 もう見なくて済むといいんだが。マイアーは心の中でそう呟いた。
 

「またここか」
「いい加減この岩は見飽きたぜ」
 レヴとマイアーは顔を見合わせて思わずぼやいた。赤葉木を離れてから三日。本来ならば、そろそろ森から出ている筈である。しかし、あの棒杖のお陰で赤葉木の元にこそ戻らないで済んでいるが、どれだけ進んでも、必ずこの岩と人骨の傍へと戻ってきてしまう。
「カナトゥ、森燃やさねえ?」
 マイアーは、キィルと魔術による罠について話しあっているカナトゥに声を掛けた。
「馬鹿を言うな。そんな事をしてみろ、破門された上に都中の魔術師から爪弾きにされる」
 キィルは珍しく兄弟子の言葉に素直に頷いた。
「命とどっちが大事だよ」
 元より本気で言ったわけではなかったマイアーは彼の言葉を気にもせずに言い返した。
「赤葉木を離れてまだ三日しか経っていない」
 元より簡単に済ませられるとは思っていなかったため、食料などは十分に用意してある。このまま迷っているだけならば、皆の命に関わるという状況まではまだ間があるだろう。
「それは、その内やってもいいってことか?」
「……最後の手段としてなら、な」
 レヴはカナトゥの顔を窺った。その表情を見る限り、本当にそんな状況に陥っても、カナトゥは貴重な木がある森を焼いたりしないだろうという気がしてならない。
 すっかり人骨にも慣れてしまったのか、骨の傍にある岩に腰を掛けながらそれを見ていたキィルが突然口を開く。
「ねえ、この骨、ちゃんと埋葬してあげようよ」
 三人は、この状況で何を言っているのだとでも言うような顔で彼女を見た。
「そうだな、これだけ顔を合わせてるんだし、葬ってやるか」
 いち早く表情を常に戻したマイアーは腰の剣を鞘ごと外した。
「まったく呑気な奴らだぜ」
 そう言ってレヴはカナトゥと顔を見合わせ、肩を竦めた。同じような仕草が返って来る。
「……まあ、いいんじゃないか?」
 カナトゥは慣れない手つきで祈りの仕草をし、膝をついて骨を丁寧に拾い始めた。
 レヴとマイアーが手際良く穴を掘り、そこにカナトゥが拾い集めた骨を丁重に納める。
「これでいいだろう」
 近くにあった枝で墓標を立て、マイアーは満足そうに額の汗を拭った。
「うんうん」
 結局何もせず、岩の上でただ見ていたキィルは同じように満足そうな表情で頷いた。
「さて、もう一回行ってみるか」
 レヴは剣を元のように腰に吊るし、キィルを見た。
 キィルは呪文を唱えようとして、岩の上に置いてあった棒杖を手に取った。
「うわっ」
 棒杖を手に岩から飛び降りようとした彼女は、突然横から現れた手に悲鳴を上げた。仲間の誰かの手ではない。いや、人の手ですらない。うっすらと白い光を放ち、その向こう側が僅かに透けて見える筋張った手。
 レヴとマイアーは彼女の悲鳴に振り返り、剣を抜こうとして、そこに白く光る人影を見て数度瞬きを繰り返した。
 白い人影はキィルの持つ棒杖に触れて何事かを呟き、満面の笑みを浮かべてすっと消えた。
 カナトゥはしばし人影の消えたあたりを見つめていた。白く淡い光に包まれていたため、はっきりとは見えなかったが、その顔に見覚えがあった。師匠の使いとして、幾度か訪ねたことがある、赤葉取りの名人と呼ばれた老魔術師の顔。
 では、あれはかの魔術師の骨だったのだろうか。カナトゥは改めて先ほど作ったばかりの墓標を見た。静かに歩み寄り、墓標代わりに差した枝に持っていた小刀で彼の名を小さく彫る。
 そして彼は再び目を閉じて祈りを捧げた。
「……キィル、呪文を唱えてみてくれ」
「う、うん」
 キィルは、ただ一人落ち着いた様子の兄弟子の言葉に従い、棒杖をかざして呪文を唱えた。
「おっ?」
 マイアーがその先から出た光に、驚いたような声を上げる。石から発せられる光は、良く実った麦穂のような優しい色をしていた。
「木の方向じゃねえな……信用していいと思うか、カナトゥ」
「ああ」
 カナトゥはレヴの問いに答え、先に立って歩き出した。
 その光が指し示す方向へと、真っ直ぐに。

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